※映画ネタバレあり。6thに向けた現状の自分の立ち位置の確認。
だって可能性感じたんだ。
先日のファンミーティング幕張に参加した方は、
内田さんのセリフ「みんなそれぞれのラブライブ!に対する歴史があって嬉しい」(意)が印象に残っている人も多いかもしれない。
色んなタイミング、色んな入り口があって、それぞれの好きになったラブライブ!には違いがある。
僕が知覚しているこの辺の歴史はいつかまとめるとして、「貴方の好きなラブライブ!の魅力とはなんですか?」という問いに、僕はこう答える。
ラブライブ!の魅力は2.5次元性にある、と。
僕の立ち位置を語っておく。
入り口は2012年3月、ブシロードライブ名古屋。本格的にはまったのは、NYライブの直後、1stライブBDをひたすら見るようになった2013年1月。
「この2次元であるMVを背景に3次元のキャストがライブをする」、それがはじめに実った瞬間である、あの1st LIVEに憧れて入った世代である。
2.5次元の作り方の変化
この2次元を3次元が再現して成立するこの2.5次元、だいたい3rdライブあたりを境に2つに分かれるように思う。
A:~アニメ1期 ・・・2が先にあって、極力3が2に合わせることで成立した2.5
B:アニメ2期~ ・・・3が先行する部分に、2が合わせることで成立する2.5
2.5次元性を維持するには、両者が離れてしまってはいけない。
だから、3次元での活動が続くと、この2.5次元性を維持するためには、徐々にBに移行せざるを得ない。
ここに3次元の2次元へのフィードバックを可とする雰囲気と、それを支える予算が必要になるわけで、これを満たして2と3が双方向にフィードバックされうる状態を作ったこと、ラブライブ!の唯一性はここにある。
ここに3次元の2次元へのフィードバックを可とする雰囲気と、それを支える予算が必要になるわけで、これを満たして2と3が双方向にフィードバックされうる状態を作ったこと、ラブライブ!の唯一性はここにある。
ただし、Bは3次元が先行するので、制御できない現実の流入を避けられない。
例えば、3rd以降は現実のほうが作中の規模を追い越してしまったこと。
各人のスケジュール調整の難しさや、じょるのの怪我に代表される体の限界から見えるラストライブの影。
でも3次元だけが終わってしまっては、2.5は完成しない。
だからこそ、この部分をクリアするために、映画は特に2次元の3次元への合わせを顕著に押し出しいたように思う。
例えば、映画の前半、スクールアイドルとしての経験を積み、海外へ飛び出し広がった世界と、各人がμ’sから離れて、ソロ活動の中で得た立ち位置。
アニメ2期13話。「あれだけ最後と煽っておいてずるずる続けるのでは?」
現実で、そこそこ昔から追っていた人誰もが思ったであろう悩み。
これは映画作中で穂乃果が抱いた悩みそのもの(が描写の中心であった)
そして、作中で全国のスクールアイドルを回ったこと。映画後からの、ファンミ地方公演。
”僕ら”は今のなかで
ここで一つ、影響の大きい重要な紐付けが登場した
初めて作中に3次元からフィードバックにされた”僕ら”が登場したことである。そう、実際にその活躍する土地までμ’sメンバーが会いに行った、スクールアイドルは、今現在(2015年6月)開催中の、ファンミーティングツアーである。
作中でスクールアイドルみんなで歌って踊れるように作った曲、それに対応するのが、みんなで作ったミはμ'sicのミ。
映画の再現は、6thを待たずに、もう始まってる。
3rdから始まった10人目のμ’sはここでついに2次元に登場した。
輝きを待ってた”僕ら”は、最後の最後で2.5次元を完成させるピースとなった。
ただし、それはラブライブ!というコンテンツの評価に自分自身が関係しうるという意味でもある。
映画単体で見た時の点数は、80点台前半。
ここからどれだけ100点に近づけられるかのは、僕ら次第。
いつがゴール?やはりそれは6thしかなくて。
それまでに、2.5次元に組み入れられてしまった僕らは何ができる?
映画の再現を基本に、おそらく本編最後は「僕たちはひとつの光」
そして、ほぼ確信に近いものがある。アンコール1発めはそれは僕達の奇跡。
そのときに僕はどこまで受け止められる状態だろうか。今度こそ、まっすぐ前を向いていられるだろうか。そして、僕の夢は叶うだろうか。
2次元と3次元が合わさってできた2.5次元。
3が強くなったいまは、時間という4次元目に追われてて。
2と3の平均をとってできた2.5、そこに4が加わったとき、僕らの世界は3へと還る。
あともう少し、最後まで駆け抜けるよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿