映画は6thとセットでみてしまいがち。
キーワードが散りばめられた終盤、ライブアンコールでそれは僕たちの奇跡がかかって昇華する。
裾野が広がった今、意図的に解釈の余地は増やされてる。人は自分のみたいものをみる。自分がみたいものはなんだろう。ライブまでにどこまで詰められるか。ライブ当日にどれだけ頑張っても、最初から用意された器以上のものは拾いきれない。
Mスタ以降を二期とみる。2次元を追っていた一期から、現実が2次元を追い越し始めた。現実が先にある限り、アニメに三次元をリンクさせるだけでは、最初の願いは叶わない。だから、アニメが現実とリンクしはじめた。
作中の主人公が、続けるか悩む時間。観てる側にとっては一瞬。真に共有するには?二期の終わりから、この映画までの一年、僕らが悩んで考えた時間がそれにあたるのでは?
作中のリンク
・アメリカ:海外への広がり
・各地のスクールアイドルに会いに行く:今のファンミ
・決まっている6thライブ=今回作中ライブ(アニメ二期に対応するのが5th)
・ファンミの中野横浜幕張までが、1st〜5thライブの再現に見える。映画の公開を区切りにファンミは地方公演に移ること、そして順繰りに規模が大きくなってること。幕張二日目昼のセトリがアニメ二期=5thの濃縮であること。すなわち、本来6thで再現されるであろう、映画のストーリーの再現はもう、映画直後から始まってる。
アメリカ行きの位置づけ
・卒業式を終えてなお、の日常するための演出
・フィクションでありながら、高校卒業で世界が広がることの暗喩
キャスト
μ'sとサンシャイン、その間に位置する数々のスクール(声優)アイドル、雪穂と亜里沙のポジションに位置するのがあの各地のスクールアイドル…
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