2016年4月4日月曜日

ラブライブ!μ’s Final LoveLive!とはなんだったのか

1.はじめに

 先の記事にも書いたとおり、

3/31は本当に楽しくて、でも4/1には心残りがあって。

もやもやを抱えて、これからの道を探してた。

4/2に色んなひとと話して。4/3に文章を書いて自分と向き合って。

寝る直前になって、光が差し込んできた。


 “楽しいだけじゃない 試されるだろう”

この言葉は3rd,5thと歩いてきた道の隣にあった言葉じゃなかったっけ。

だったら、紛れもなくこのFinalの名を冠した二日間のLiveは。


――僕が歩んできた4年間そのものだ。



2.僕が望んでいたものと終わってから見えてきたもの

 4/2に話していたとき、おぼろげだった僕の感情に形をもらった。

「2013年から始まった3年間のアニメの終わりとしては相応しい曲だけど、2010年からずっとやってきた6年のコンテンツ全体の終わりとして相応しい曲だとは思えない。

だから最後にもう一度、僕らのLIVE君とのLIFEが聞きたかった」

 ずっと、もう一度僕らのLIVE君とのLIFEがアンコールでかかるときが、終わりだとそう覚悟してきた。

最初に追いかけたものはFirst Love Live!。その幻影の象徴だからでもあるんだけど。


 4/3の昼にTwitterで見た感想。

「MOMENT RINGの1回目の隣タッチは9人で直接してるけど2回目は一人分離れてるのは18人でタッチしてるように見える。」

確か、5thまでは2次創作以外で聞いた記憶はない気がする。演者が18人という単語を頻繁に使ってたライブは、多分今回だけだ。


 4/3の夜に、セトリの感想を書きながらMOMENT RINGの歌詞を眺めてて、ふと、こう思った。

「”僕ら”と”僕たち”の違いは9人か18人かの違いかな」



3.“僕ら”と“君”が辿り着いた“僕たち”

 そして4/3に寝る直前。18人がなにをもたらすものかを考えはじめた時にすべてが繋がる感覚を得た。


 歌詞に「僕」と出てくる“僕らのLIVE 君とのLIFE” “僕らは今のなかで” “それは僕たちの奇跡” “僕たちはひとつの光”。

それぞれのライブの象徴でもあり、そのときの「今」を歌ったものだ。“僕ら“も”僕たち“も複数形の言い回しだけど、それぞれの曲のなかでは統一されている。


 ・・・なにが違う?転換点はどこか。


 Final Love Live!パンフレットP.17。

「3回め以降は私たちのなかでμ’sが自分たちの一部になったような感覚」から自然に自分の中で穂乃果が声をだせるようになった気がする」

 ここだ。3rd Annivarsary Love Live!だ。ライブにおいてμ’sicが始まったここだ。

輝きを待ってた9人の“僕ら”は、背伸びの“君”と背伸びの“僕”が、(1+1)が9人集まった“僕たち”になった。

 それは“僕たち”の奇跡。製作スタッフとファンの“みんな”で叶えた物語。



4.Final Single「MOMENT RING」

 どうして、Final Single にMVがなかったのか。時間がなかったから?予算がなかったから?

――違う。このライブこそがMVだから、だと、誰かがそう言った。


 この曲のなかだけでは“僕ら“と”僕たち“が混在している。

それは6年を振り返る曲だから。

“僕たち”になるまでの“僕ら”を。

みんなの思いが導いた”僕たち”のあしあとを。


 今までの曲の振り付けを1人づつ披露していくダンス。

歌詞は”僕ら”からやがて”僕たち”へ。

そして奇跡のように全てがつながって――


 今までのMVをバックに、ポーズとともにキャラクターの絵が出たあの場所につながる。


 どちらが先でもいけなかったんだ。

だって、もう2次元と3次元がお互いに追いかけっこする時間はないから。

今だけは互いの歩調を合わせて、輝きをこの瞬間だけに閉じ込めて。

9人は18人になった。


 そしてこれが、これこそが。「僕たちはひとつの光」を完成させる最後の欠片。



 5.μ’s Final Love Live! ラストナンバー「僕たちはひとつの光」

 映画で観た光景は、東京ドームで再現すべき光景は、満点の星空のなか、花の上で踊りながら”1番”を歌う穂乃果たち9人だ。

2番からは、このラブライブ!を作ってきたキャストのエンドロール。

それが流れて行った結果、残ったのは、穂乃果たちの練習着。

アニメでずっと象徴だったけれど、ライブで一度も再現されていない衣装。

”穂乃果”たち9人の象徴。


 あの睡蓮が開いたときに、そこにあったのは。まさに映画でみた光景そのもので。

 あの星空はみんなのブレードの光で。だからこの歌はみんなの歌でもあるんだけど、でもみんなの役割はそこで終わり。

 必要なのは、ずっと互いが互いを再現しようと、光を追いかけてきた9人と9人(僕たち)が、瞬間だけ1人と1人(君と僕)が合わさって踊る時間。


 でも「僕たち」という一人称が最後に出るのは。曲の終わりじゃない。


 “君と僕のLIVE&LIFE”という歌詞のあとの時計が巻き戻るような振り付けは。

 そのあと花が開くように、それぞれのキャラクターの色が外側に出た衣装は。

  そして”君”と”僕”が並ぶごとができた、並んでしまったMOMENT RINGがこの曲の前にあった意味は。


 待って待って、そうすると、もしそうなら。今が最高!の「今」とは。

 1番の「今」は映画の解釈どおりの、もうすぐ終わってしまう「今」に対しての、そのままの9人の台詞だけど。

 最後に「時をまき戻してみるかい?」と問いかけられたときの「今」は。

もう「僕たち」ではなくなってしまったけど、もう一度時間を過去に戻してみるかい?という意味で。

それでも「今」が最高だと答えた18人。曲が終わった後の、9人の円陣。



これが、あの場所にあったもの。

今の僕がたどり着ける最高の解釈。



6.終わりに

 ……でも実は、上の話は、「僕たちはひとつの光」はラブライブ!の歩んだ「6年」Finalとして相応しい曲だった、という話で。

 僕らのLIVE君とのLIFEでライブが終わることを否定することには「ならない」。

逆に、”僕たち”じゃなくなったからこそ、3rd~5thではできなかった

「Tシャツでサビだけ振りコピみたいにしつつ歌う9人の僕らのLIVE君とのLIFE」が

舞台を降りた9人ができたんじゃないかとすら思う。

でも、現実はそうならなかったから。

だからこれはきっと、あのステージの後ろのスクリーンに映る青い芝生に憧れた一人の夢にしておくのがやっぱりいいんだろう。



7.これから

 最後に会場で配っていたチラシのお話。

 普通さ、ライブのチラシって、封しないんですよ。でも今回のライブは封がしてあった。都合よく解釈するとと、これは終演後に中身を見てほしかったからじゃないかって。


 開演前から見えた一番上のラブライブ!MEMORIAL BOXのチラシの下には

新田恵海、南條愛乃、内田彩、三森すずこ、

飯田里穂、Pile、楠田亜衣奈、久保ユリカ、徳井青空

 

 ライブのときの挨拶の順番でもなく。アニメの加入順でもなく、この順番でおのおののソロ活動のチラシが入っていて。まるで”僕ら”に戻った9人を祝うように。


 そして最後に、ミルキィホームズのチラシ。

 僕は忘れてないよ。2011年のミルキィツアーに、First Love Live!のチラシが入っていたこと。



無謀な夢から始まったラブライブ!という作品は

First Love Live!で夢をカタチにして、

3rd Anniversary Love Live!でその夢を叶えた。

みんながその夢に抱いた思いがμ’s Go→Go!Love Live!という場所を導き、

Final Love Live!は自身の終着点を確かに見つけた。


 4年間、楽しい日々をありがとう。

これからもよろしくね。



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